裴松之の注について。賈詡伝だけちょっと感情的ではありませんか?あとまったく関係のないことも長々書いてあるし・・・
確かに長安動乱の基をつくった人物ではあるのですが・・・
皆様はどう思われますか?
たしかに、感情的というか、
裴松之の主観と、陳寿の評との違和感はありますね。
『三国志』裴松之注の執筆動機は、
仕えていた劉宋の文帝から
「『正史三国志』は正確な記述が多く、近世の良い歴史書だが、
ちと簡潔に過ぎるでいかん、ぬけているところもあるようだから、注をつけなさい」
と命令を受け、
その当時残っていた三国時代の史料を集めて注を作ったといわれます。
正史『宋書』の裴松之伝には
「上(劉宋の文帝)陳壽が三國志を注せしめ、
松之傳記を鳩集し、異聞を増広す。
既に成りて奏上す。
上、之を善して曰く、『此れ不朽為る矣』」と、あります。
その分量は約三十二万二千字という膨大なもので、
陳寿の著述方針のため、不採用になった記録を
裴松之は、自ら言うように、ピンからキリまで、
信憑性に関わらずに集めていったわけです。
その参考とした文献は二百数十種にも及びます。
この注には、信用できない資料もたくさん入っています。
そのことは裴松之も自覚しており、
注の完成を文帝に報告した上奏文(『上三國志注表』)で、
■陳寿が記録しなかった事で、記録に残すべきと思うことは、
全て取り入れ、その遺漏を補う
■ひとつの事柄について複数の記録がある時、
判断に迷うものでも全てを記述する
■それに明らかな間違いがあれば、指摘し訂正する
■本文の記述や、陳寿の著述に若干の個人的論評を行う
といっているほどです。
陳寿の正史本文と一緒に書かれているために、
しばしば混同しがちなため、
「いいかげんなことばかり書いてある。
勝手放題でまことにわずらわしい。」
と、唐の歴史家・劉知幾(りゅうちき)が著書「史通」で批判しています。
また、清の『四庫全書総目提要』では、
本文と関連性がない仙人などの、
あやしげな説話の引用をしていることが指摘されています。
裴松之は陳寿と違い、
「書いたものを見せられるとすぐ騙されやすい」
司馬遷タイプの歴史家であったともいわれます。
本文と注釈で話が食い違うことも多々あります。
自分で引用しといて
「この記述は出鱈目だ。話にならん」と、
自分でツッコミいれて憤慨してることもちょくちょくあります
さて、
【賈詡】は、ご存知のように、
董卓、李傕、段煨、張繍に仕えた後、
曹操の配下となり、曹魏2代にわたり重臣として活躍しますが、
機知に長ける参謀として、悪く言えば陰謀を巡らす曲者策士です。
曹操配下となる前に仕えた、
董卓以下の諸将は皆あまり評判のよろしくない連中です。
当然、主君の(悪い)評判は、
賈詡自身の評判にも跳ね返ってきます。
陳寿が賈詡に対して、
荀攸と共に「前漢の張良や陳平に次ぐ」と、
高い評価を与え、、
主君を換えながら処世術に長けて生き残った事実も評価しています。
主命を帯びて注釈を付ける裴松之が、
何でも詰め込む主義をとったこともあり、
簡潔を旨とした陳寿と対照的に、
賈詡の、多数あったであろう、
旧主君の影響をも受けた悪評を取りこぼさず、
本文と正反対に近い、
「(賈詡のような人物は)程昱・郭嘉らの伝と一緒に編入すべきであり
荀彧・荀攸と同列にするのは類別を誤っている」と、
厳しい評価したのも無理からぬことではなかったでしょうか。
裴松之の注は、賈詡に限らず、
陳寿の評価に反論する人物評も見受けられます。
賈詡がらみのエピソードが、
彼が策士である以上、基本的に行動が単純な部将達より、
どうしても捻くれた事実が多いため、余計に目立つのだと思います。
私は、賈詡さんあまり好きではありませんが、
彼の評価としては、年代的に近い陳寿の評に近い捉え方をしています。
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