2012年3月11日日曜日

三国志―荀イク(彧)を調べるにあたって

三国志―荀イク(彧)を調べるにあたって

とある小説で荀彧に興味を持って、日本語訳ではありますが、『正史』と『後漢書』の荀彧伝に目を通してみました。





彼について調べる際、他に目を通しておいた方がいい人物の伝などありますか?武帝紀はところどころしか見ていないのですが、やはり武帝紀もきちんと読んでおくべきでしょうか。



また、荀彧に関係するオススメの論文・書籍などありますか?







それから、彼は後継者問題の際に曹丕派と曹植派のどちらについたか、あるいは中立を保ったのか。荀彧の立場を明確に示した資料ってあるのでしょうか。ネット上で見ていると“荀彧は曹植寄り”という意見を時々みかけるのですが、明確な根拠が分かりません。







正史『三國志』で荀イクの記述が多いのは、本人の伝以外では族子(おい)の荀攸伝、武帝紀、文帝紀、それに荀イクが推挙した郭嘉、程イク、鍾ヨウ、杜畿などの人物伝ですね。もしちくま学芸文庫の完訳本をお持ちでしたら、八巻巻末の人名索引で登場箇所は全て調べられますよ。

ちなみに荀攸は荀イクの祖父の兄弟のひ孫に当たります。つまり荀イクの息子達の世代(おい)にあたり、おじ(同族で父の世代)ではありません。歳は荀攸の方が荀イクより6歳上ですけどね(笑)。



荀イクが亡くなったのは212年で、曹操の魏公就任が取り沙汰されている時の事です。曹丕は26歳、曹植は21歳でまだ後継者問題は起きておらず、208年から副丞相として曹操の補佐をしている曹丕が後継者だと誰もが思っていた時期ですので、荀イクは普通に曹丕支持だったと考えられますね。

おっしゃる通り、netの「曹植支持」というのは根拠のない妄説でしょう。



書籍に関して、荀イクをメインテーマにした本というのはちょっと思い当たりません。曹操の霸業に重要な役割を果たした人物ですので、そういった本があってもおかしくないとは思いますが(^_^;








曹植派の根拠の一つとしては、魏書荀彧伝にある曹丕の対応と、子の荀惲が曹植と親しかったという記述などがあります。







皇帝即位の際

病気で死んでいるので

後継者はまだまだ軽い気持ちで

曹植の方が好き程度です

曹植が荀彧の事が好きみたいな感じです



万人の残す万状の轍は万の尺度をもってこれをはかる



曹操と荀彧の関係は三国志の醍醐味ですね



荀彧の事を一番しっているのは

伯父の荀攸です



曹操は好きすぎてあまり書き遺していないでしょう



陳寿も察しているでしょう



曹植あたりが意外に書き残しているかも

0 件のコメント:

コメントを投稿