三國志の諸葛亮はかなり過大評価されているとおもいます。政治家としては良いが軍事面での才はなく実際そちらは期待されていなかった。人を見る目もわるかった。
皆さんはどう思いますか?ただ三国中最弱の国力と一番人材の乏しかった蜀を切り盛りした政治力は一流なのは間違いありません
もし魏に仕えていたらここまで名声を得る事はなかったとも思います。それくらい魏は人材豊富でした。
皆さんの意見聞かせてください。
別に諸葛亮が嫌いなわけではありません。
いっちゃなんですがあなたみたいな意見はほんっと聞き飽きました
ネットでは「過大評価されるぎている」という反発意見のせいで最早過小評価されてるように思えます
諸葛亮とはちょっと関係ないですが、例えばあなたは赤壁の戦いで劉備軍は模様眺めしていたようなものだと言ってます
が、実は先主伝や武帝伝にははっきりと「(赤壁で)劉備軍に火を付けられた」と書かれています(表記の仕方は忘れましたが、はっきり劉備と書いてたように記憶してます)
武帝伝は曹操に都合の悪い記述は極力書かないのに負け戦について記述があるといことはそれなりに信ぴょう性のあることだと思っています
この点についてどう思います?
蜀は演義の過大評価の反動での過小評価が結構前から始まってます
もうそういう意見はいいです
うん、よくある間違った評価ですね。
>政治家としては良いが軍事面での才はなく
とんでもない。軍事も政治も一流の人物ですよ。
北伐が成果として芳しくないのは事実ですが、国力や兵力差を考えれば当然の話です。何しろ総人口約100万程度、最大動員兵力10万前後の蜀に対して、魏は人口500~600万、常備兵力(最大ではない)だけでも常に30万前後を揃えられるのです。しかも北伐時の魏皇帝は名君曹叡で、国内治安は良く人心掌握もしっかりしており治世は磐石の状態です。
魏国内に反乱など不穏な要素があるならまだしも、これで勝つのは後漢光武帝劉秀や唐太宗李世民にだって難しいでしょう。
このような状態にも関わらず諸葛亮は祁山に攻め上がり曹真・張コウ[合β]・司馬懿ら名将を度々打ち破り、しかも総人口の約1割を徴兵し連年出兵するという極限の軍事行動(現代で徴兵可能な限界数は総人口の3~5%と言われています。魏がこのレベル)を繰り返して国力を疲弊させず魏に付け入る隙も与えていません。
これは世界の軍事史を見ても稀有な事例だと思いますよ。
質問者さんのようなご意見は『三国志演義』を経て正史『三國志』を知った人にはありがちな「過小評価」です。もう少し深く正史を読み込んでいけば、私の言うことも納得して頂けるかと思います。
ただ、確かに臨機応変の戦術、人材を見抜く目やその配置・育成といった面には若干の難があります。そのあたり、諸葛亮も完璧ではなかったという事でしょう。
あと、諸葛亮の名が太祖武帝紀(曹操伝ではなくて)に出てこないのは当然の話です。だって諸葛亮と曹操は戦場で戦った事がありませんから。明帝紀(曹叡の本紀)には諸葛亮の名がこれでもかと出てきます。
それを言うなら趙雲など蜀書にしか出てきません。他国には注目も警戒もされていなかったという事になりますね。
もはや諸葛亮に対する評価には飽き飽きしました。知恵袋内で「諸葛亮」とてでもググれば多くの方が評価を述べています。が、一つだけ。
武帝紀に諸葛亮の名が出てこないのは当たり前です。諸葛亮が本格的に国政のトップに立つのは劉備死後、つまり曹操が死んで数年してから。逆に北伐を行っていた曹叡の代になると魏書の至る所に名前が出てくる。曹操と諸葛亮では活躍した時期が違います。それにそもそも他国の臣下のことが本紀や当主の伝に書かれること自体稀です(戦争に関する記述は別ですが)。例えば先主伝にも曹操政権の中心である荀彧や郭嘉の名前なんて出てきませんからね。
それはそれは…
真っ赤なホントですね。
魏志曹操伝には、一言も孔明の名前は書かれていないですからね。
少なくとも曹操は孔明の事を屁とも思ってないのは事実です。
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