戯志才ですが、諱も字も志才って考えられませんかね?孟浩然みたいに。荀イク伝と曹操の発言との矛盾を指摘されて思いつきました。
諱と字が同じ人物というのは確かに居ますよね。
しかし、戯志才がそうであったかと言えば違うだろうと考えています。
三國時代の人物の諱と字を抜き出してみれば分かりますが、いくつか法則性があります。兄弟順の表示(伯仲叔季)、同じ文字を使う(司馬八達や夏侯七権など)、諱と字義の同一性(諸葛亮、徐晃など)、諱と字義の対照性(呂蒙など)です。
つまり三國時代の字は、諱を補完するもの、あるいはその人物を説明するものであると考えます。例外は曹操、荀イク(ともに過去の書物の一節から)など少数です。
一方、孟浩然を始めとして後世の人物には、諱と字が同じという人物が散見されます。これは私見ですが、字という文化の爛熟と退廃ではないかと考えています。
字というものは本来、諱をみだりに呼ばなくてもいいように付けられたもの。諱を隠すための名前が字であったはずです。諱と字を同じにしてしまうのは本来的な意味を失う事になります。
にも関わらず諱と字が同一という人物が存在する。これは諱を避ける意識が薄れてきた結果ではないかと。
まあ有り体に言えば、使いもしない諱を考え、さらに意味や趣向を凝らした字をつける行為を無駄だと考える風潮みたいなものができてきたのではないかと、そう思う訳です。だって結局は日常的に諱を使用する事になりますからね。
つまり、三國時代はまだ真面目に諱と字を考えていた時代だと思っています。その考えが正しければ、諱と字を同じ文字にするというのはタブーだったはずで、戯志才も恐らく諱と字とで違う名前を持っていたと思われます。
一方でazarashikun1230さんのおっしゃる通り、もしかしたら戯志才には字が無かったという可能性もありますね。その場合は志才が諱となる訳ですが…、字面の印象だけだと正直、諱には見えません(^_^;
そもそも二字名は二字姓よりもさらに珍しいものですし、三國時代において二字名の例としては、私は無忌(伏無忌。伏完の祖父)と不疑(周不疑。劉磐の族子)しか知りません。
しかしまあ、単純で素朴な疑問のようでいて、いざ掘り下げると結構奥が深い問題ですねこれ(笑)。私自身回答していて非常に勉強になりますし、皆さんのご意見が聞けて良かったと思っています。
志才は諱と考えても差し支えないと思いますがまたもや突飛な意見かもしれませんがそもそも字がないのかもと私は個人的に思っています つまり字という習慣があまり浸透してない地域で出生したのではと思ってます
例えば先ほどの妄想から続きますが戯子然の縁者だとして出自が少々怪しい また三国志には字がない人物がいます 中国全土に字を呼ぶという習慣が及んでいなかったらと仮定してみては?
例えば華雄 袁紹配下の顔良に文醜 馬岱 孟獲や沙摩訶など彼等の内、華雄は不明ではあるが董卓配下ということから北方 顔良は徐州ということになってるみたいだが謎 文醜は不明ながら騎兵を率いることなどから北方ではないかと推測 馬岱は西涼後の二人は南蛮の出身です
又はそもそも戯志才とは虚名で別の名があるのか…
追記 しいて言えば中原には字という習慣は広まっていたがそれ以外では完全に広まっては居なかったとか
閻柔や公孫瓚は幽州出身で北方 麹義も羌族の戦法に習熟していたところから北方出身
こう仮説をたてればsanokuangxian様が先ほど戯志才が姓+名か姓+字か分からないという疑問も筋が通るかと思いますがどうでしょう?
補足 三國時代において二字名の例としては、私は無忌(伏無忌。伏完の祖父)と不疑(周不疑。劉磐の族子)しか知りません>ええとこれについて補足ですが実のところ古代中国では一字の諱が基本だったのですが同姓同名が続出したため次第に二字諱が現われるようになります ちなみにそれは前漢時代で特に増え例を挙げると八代皇帝昭帝は「劉弗陵」といいます そして王莽の復古政策である二名の禁のせいで新から西晋にかけて少なくなりますが別になくなったわけではありません
例を挙げると周不疑(才能豊かで曹操にも愛された しかし友人であった曹沖が死ねと曹操により殺されてしまった)
王延寿(王逸の子で字を文考 襄陽耆旧記に記載あり)
郭攸之と王子服?はどうだったかな? 鄭小同(字は子真 鄭玄の孫 高貴郷公の時代に五更に就いて活躍したが司馬昭とトラブルを起こし毒殺される)
司馬炎と同名のため字で記された孫叔然なんてのもいたかな
さらに追記 う~ん東晋の最後の皇帝恭帝で諱も字も徳文っていうのもいますしど忘れしましたが唐の将にも諱も字も同じのがいたと記憶してます しかしkanshinshunjyu様がおっしゃるように諱を隠すための名前が字であったはずであるからそんなにはいないはずですね ただ全体的に諱を避ける意識が薄れてきたというのはちょっと考えづらいかなと後世にイレギュラーが出るようになったという意味では確かに薄くなったとは思いますし現在の中国では字の公用を廃止してるわけですから薄くなった結果とは思えますが
志才が諱となる訳ですが…、字面の印象だけだと正直、諱には見えません(^_^;>う~んお気持ちがわかりますので虚名かなとも思ったんですよ (戯)れるとか(志)すそして(才)なんて正に作ったみたいな諱なんで
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