2012年3月11日日曜日

テレ東で日曜の朝にやってる日中合作の三国志について

テレ東で日曜の朝にやってる日中合作の三国志について

あのアニメのOPで「日本は卑弥呼の時代」というですが、それって『日本はまだそんな大昔なのに中国じゃこんな熱い話やってたんだぜ、中国ってすげーだろ』と言いたいのか、あるいは話の後のほうで『倭の卑弥呼が三国志に絡んでくる伏線(FC版転地を喰らう2みたいに)』なのか、どちらだと思われますか?







説明の為でしょ。

正直申しますと卑弥呼が魏に朝貢したのは239年で、遣使したのは243年、三國誌の中でも末期の末期です。

赤壁もとっくに終わっており、劉備も関羽や張飛などの五虎将も諸葛亮も曹操もこの世に無く、孫権がかろうじて存命してるだけです。

その頃の日本については後漢書東夷伝に金印を授けたとか、それ以前は漢書地理史に「海の向こうに島国があるぞ」と記述されてる程度ですからね。

魏志倭人伝で卑弥呼の事が書かれてます。

ですので、いかにも日本と日本人の事が書かれてると思いがちですが、実は「烏丸鮮卑東夷伝倭人条」の略で、烏丸も鮮卑も三國誌で言えば異民族で有名な所では山越や南蛮と同じ扱いと。

まあ、親魏倭王の金印(仮)と銅鏡100枚くれたのは異民族への扱いとしては異例中の異例と言えなくはないですが。



ですので、あの頃は中国が日本よりず~っと進んでたのは間違いなく、今更ふんぞり返っていばる程のモンじゃありません。

また、三國誌としても卑弥呼は何の役割もしてませんし、登場が遅すぎて絡むにしても盛り上がりません。

なんせ、主役級はいないのですから。



それで、日本史においてマトモな記録が残ってる大和朝廷という近代国家、統一(?)国家が出来るのは200年以上先の話。

それ以前の話は殆どありません。

ですので、解りやすく説明するには、かろうじて関わりのある卑弥呼の時代と言うしかないからでしょう。



でも何かのゲームでありましたね。

殿様だったか武将の嫁候補に卑弥呼が入ってたやつ。








正史の三国志の中に魏志倭人伝(正式名称 魏書東夷伝倭人条)という項目があります。三国時代の周辺諸国について記載されたもののうち、日本について書かれてます。当時は卑弥呼がいたという歴史的事実がその史書にも出てきます。



日本で放送されることを前提にその紹介がなされていると考えられます。その方が、視聴者には時代を捕らえやすいからです。

そういう意味合いと、史書にも出てくる事実の両方が含まれてるのでしょう。

後の展開への伏線ではないような気がします。







あのセリフは日本向けにあるんじゃないでしょうか?従って、大体どれ位の時代かをわかるように言ってるんだと思います。三国志好きですが、しかし めっさおもんないですよねー。あの張遼にはガックシ。

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